【訃報】カシオ計算機創業者 樫尾和雄 会長 逝去

2018年6月20日


昨日、訃報を知った。カシオ計算機の創業者である樫尾4兄弟のお一人 樫尾和雄会長が亡くなった。

カシオ ニュースリリース:弊社代表取締役会長 樫尾 和雄 逝去のお知らせ


Kazuo_Kashio会長でありながら、最後まで開発現場に立たれていたとのこと。生涯現役を貫いた人生だった。

和雄氏は、製品企画や販売戦略において、独特の嗅覚を持っておられたのは有名だ。カシオミニの裏話はご存じの方も多いと思う。当時電卓は個人が所有する価格帯の製品ではなかった。8桁表示が普通であったところ、個人がお金の計算をするのに8桁はいらんやろ、6桁でええ、小数点もいらんやろ、その分コストを下げる、といった発想。そして月10万台生産を前提として 12,800円という価格設定。結果大ヒット商品となり、生産を急遽月産20万台に引き上げたという。電卓を個人が所有する文房具として普及させる契機を作ったのは間違い無い。

1979年に 個人が持ち歩きできる手帳型のプログラム電卓 FX-502P を発売したのもカシオで、世界的ヒット商品になった。今でもプログラム可能な高機能電卓の開発を進めているのは、国内ではカシオのみ。世界でもHPとTIと並ぶ3大メーカーの1つだ。

和雄氏はGショックの販売拡大でも有名だが、個人向け電卓の開発と普及の立役者でもあった。
当ブログは、カシオのプログラム電卓をテーマにしており、和雄氏が居られなければ当ブログは存在していない。

謹んでご冥福をお祈り申し上げたい。


カシオは1960年台から1970年台にかけて激しい電卓戦争にも勝ち抜いた。当時の電卓戦争を牽引した要素技術の進展はその後の日本エレクトロニクス産業の基礎になっている。低消費電力プロセッサ、液晶、太陽電池はその典型的な技術であり、その後の日本のエレクトロニクス産業への寄与は計り知れない。

当時の様相は、様々なところで紹介されている。

日本のエレクトロニクスを支えた技術「電卓」

電子式卓上計算機技術発展の系統化調査

これらを改めて読み返すと、当時の産業界や技術開発には明確なビジョンがあり、社会には科学技術への夢があった。機能が増し、小型化し、しかし価格が下がるといった夢のような時代だった。私が子供時代の当時の雰囲気を肌感覚で覚えている。ワクワクしたものだ。そんな科学技術に係わるような大人になりたいと思った。頑張れば色々なことができると夢を見させてくれた時代だ。

当時は科学技術の進展に伴い、新たな価値観、新たな文化がどんどん生まれていたんだと感じる。皆が、それぞれの夢を見られる時代が戻ってきて欲しいと思う。雇用が改善され失業率が理論値の2.5%に迫ろうとしている今、そんな楽しい時代がやってきて欲しい。エレクトロニクスでなくても良い。夢よもう一度と願うばかりだ。

カシオの今後の電卓開発においても、楽しい夢が見られることを願ってやまない。



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実際に触って気づいたこと、自作プログラム、電卓プログラミングについて書いています。

なお管理人はカシオ計算機の関係者ではなく、Casio Basicが面白いと感じる1ユーザーです。


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